【007】虚勢

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作業キャラバンから萩谷さんが抜けた。

萩谷さんはまさに職人というタイプで寡黙な人間だ。

しかし、ハイエースに同乗しているナンバー2の舟串に対しては、
かなり厳しく指導していたらしい。

先日のテイカの件(溶解鉄漏れ)も萩谷さんはわかっていた。
もちろん現場を見ただけですぐに察する人だから。

他の些細な事でもかなり舟串に対して叱咤していたようだ。
それが嫌で舟串は萩谷さんの事が心底嫌いだったようだ。
高いプライドから、人にどうこう言われることに耐えられなかったのだろう。
舟串はそんな萩谷さんに馬鹿にされないように、チーム内で強がっていたのではないだろうか。
丁度今でいうマウントを取る様な行動を繰り返していたのだ。

それにしても、とても歪曲した受け止め方だと思った。

多分、萩谷さんはそれだけ舟串がかわいいし、
真のリーダーに育てたいと思っていたのだろう。

以前、ほんの少ない時間だったが萩谷さんと話したのを思い出した。
「武井さんもちゃんと自分を出せばいいのに」
「舟串に何やられても俺は助けませんよ」
「自分で這い上がってきてください」

多くは語らず、あまり人を誉めないが、しかし、どこかでしっかり皆を見ていて、
時折ぼそっと助言をくれるのだ。

相沢君があこがれる気持ちがよく分かった。

そういえば、この会社は年俸制だった。

この会社には、社内独自の技能の資格がある。
そこで勝ちぬくことで給料(年俸)が上がるのだ。
みんなの年俸はガラス張り。
この会社の年俸のトップはもちろん萩谷さんだった。

そんな彼の年俸額を皆目指した。

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新しいチームになり私にも運が回ってきた。

今まで萩谷さんがやっていた鋼管柱を回す仕事を任されたのだ。

鋼管柱を回す?何それ?
そりゃわからないだろう。

実は50mの鉄塔の上のリングにアンテナを取り付けるときには、
先に鋼管柱という鋼鉄のパイプを取り付ける必要がある。

下の写真を見てもらうとわかると思うが、
六角形のリングの各隅に鉄柱を取り付けているのだ。

この鉄柱にアンテナを付ける事になる。

当初はクレーンで取り付けていたようだが、毎回そんな事はできない。
最終的には、これを人間の力だけで行うようになったのだ。

この鉄塔の上にアンテナや鋼管柱を上げるときは、
ウインチというロープ巻き上げ用の機械を使うのだが、
当然上のリングの一か所にしか上げることができない。

それを全方向に設置するため、まるで平均台のようなリングの上を歩き運ぶのだ。
それもリングに鋼管柱をこすってしまうことは許されないのだ。

見てもわかるようにこの鋼管柱、かなり重い。
安全帯も自分の腰より低り突起にひっかけてあるだけ。
意味がない!

しかしまずは、この鋼管柱を設置しないと作業が始まらない。

これは誰でもできる作業ではなく、以前は萩谷さんがやっていた。

なので、萩谷さんが抜けた今、この中の誰かがやらなければならなかった。

私は、もともと腕力には自信があって、このチームの中では一番腕相撲も強かったこともあり、私がやることになったのだ。

一見、嫌な作業を押し付けられたように見えるが、
実は、以前萩谷さんがやっていたため、名誉ある花形の作業となっていたのだ。

なので、この作業ができるようになると一気に立場が良くなるのだ。
今までやっていたつまらない単純作業から解放されるのだ。

この他にもアンテナ基地局内の端末処理も花形の作業だが、
その仕事は舟串の独壇場だ。

真夏でも真冬でも雨でも、基地局の中での作業は、
アンテナの上と違い快適だ。

そんな作業内容を舟串は誰にも教えようとはしなかった。

まあ、色々あったが、私もチームの中で自分のポジションを
徐々に作り上げることができた。

そんな日々が過ぎていった。

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ある現場で最後のチェックを終え、鉄塔の上で舟串と二人きりになった。

私たちは50mの鉄塔のリングの上に、
まるでベンチに座るかのように横並びで話していた。

たしか新潟長岡の現場だったろうか。
夕焼けの中をムクドリの群れが飛んでいた事を覚えている。

舟串は相変わらずマイナスのことばかりを話す。

「萩谷さんはいつも俺ばかり悪く言う」
「きっと社長にも言ってるんだ」
「だから、俺は年俸が上がらないんだ」

などなど。その頃は私は彼のことをしんちゃんと呼ぶ仲になっていた。

私はふと彼のほうを見た。

遠くの方を眺めている彼の眼は、涙を浮かべていたのだ。

あの舟串が。あの唯我独尊男が。。

しかし、いつしか年上の私を慕ってくれ始めたことを感じた。
色々相談してくれるようになったのだ。

いくつかの現場をこなす中、萩谷の幻影も消えたのか、
現場を仕切る責任感でこの男(舟串)は変わっていったのだ。

この過酷な状況が新しいチームワークを育んでいったのだ。

あれだけもめて、牽制しあっていたいたことがうそのようだ。

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それからしばらくして、会社集合の号令がかかった。

我々アンテナチームは会社に行くことなどほとんどなかったので、
新鮮な感じがした。

この会社が新しい事業を立ち上げるとのこと。
その説明があった。

基本社長が総指揮で、
そして、その立ち上げのリーダーに私は抜擢されたのだ。
私には事前の打診無く突然決まったのだ(汗;)
しかし栄転であることは間違いない。

私は、約1年半でアンテナ施設業務の現場を離れることになった。

今思えば、極寒、極暑、高所での作業、チーム内での葛藤等多くの経験をした。
最初はとてもつらかったが、結果的には良い経験、一生の思い出となったのだ。

ありがとうみんな。

かくして現場を離れ?東京に戻り営業マンとしてのスタートを切った。

妻よ!娘よ!父ちゃん頑張るぞー!!

しかし、現実はそんなに甘くはなかった。。。。

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