入院・手術

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今、私はスカイツリーが望める高速の上をタクシーに乗って病院に向かっている。

これから、入院・手術のために、代々木参宮橋にある脊椎専門の病院に向かう途中である。
病名は「腰部脊柱管狭窄症」
思えば5年前から症状は現れていた。
川越にバイクで行き、駐車場に止め市内観光中に発症した。

一時間程度しか歩いていないのに、突然足が止まってしまったのだ。足が前に出ない。
今まで経験したことのない現象。痛みとしびれが下半身を襲った。
原因不明のまま、だましだまし、バイクに戻り事なきをえたが、今思えばあの時既に症状が発生していたのだ。

皆さんは「脊柱管狭窄症」をご存じだろうか?

人の脊髄を通っている神経が、骨のゆがみやじん帯などに圧迫され、下半身に麻痺をおこす病気。
その顕著な症状が「間欠跛行(かんけつはこう)」といい、30分程度歩行するとそれ以上歩けなくなる症状。
ただ、一度ベンチに座るなどして腰を前かがみに屈伸するとまた30分程度歩けるようになるのだ。
当時は不思議な現象と思った。
しかし、症状はそれだけでは済まず常に腰痛に悩ませられる日々だった。
あまりの不自由さに3年前専門医で診てもらった結果、この病名が明らかになったのだ。
根本的な原因はわからない。可能性としては若い頃の過度な運動や加齢による可能性が高いとのこと。

私は日常の娯楽としてスポーツが好きで、トライアスロンに挑戦したり、サイクリングや、
特にマラソン、トレイルランは私が主催となりランナーズクラブを作り20名近くのメンバーでよく大会に参加していた。
しかし、数年前から競技中のリタイヤを何度も繰り返し心が折れ、競技から徐々に足が遠のいた。
結果、個人的な我がままでチームを自然消滅へと追いやってしまったのだ。
大切な仲間を失ってしまった。かなり悔やんでいる。

医師から「脊柱管狭窄症」の治療方法が3つがあげられた。
・理学療法 整形外科での地道な治療
・運動 腹筋背筋の強化などトレーニングによる治療
・手術 圧迫している骨を削る、ボルトで固定するなどの治療

齢52歳。まだあの時のように走ったり泳いだり漕いだりという夢は捨てたくはなかった。
私は運動療法を選んだ。
昨年4月から前職を離れ自宅での仕事になったため、毎日少しずつ朝のジョギングを実施、
腹筋やスクワットも少しずつ行ったが、腰痛をかかえながらのトレーニングはたかが知れている。

一か月前。事態はさらに悪い方向へ進んだ。
突然、左尾ていから太ももにかけて激痛が走りだした。
座っていればウソのように痛みは治まるのだが、少しでも歩き始めると激痛が走り、5分と立っていることすらできない。
5mおきにベンチが欲しいと本気で思ったほどだ。
妻に付き添ってもらい、紹介してもらった関東屈指の脊椎専門の病院に行き、早々に手術を決めた。

今は、入院のためにタクシーに乗っている。

柄にもなく昔を回想していた。

やんちゃな頃は、無茶なことばかりして よくケガしてた。
「歳を取ったら後遺症が残るぞ」なんて、脅されたこともよくあったっけ。
あの頃はとにかく命を粗末にしていた気がする。
仕事で突っ走っている時に妻の父が「あまり無理するな」と言ってくれたのに
私が答えた言葉は「今は睡眠時間を削ってでも頑張らなきゃいけない。
そのためなら多少今後の寿命が短くなってもいい」なんて威勢を張った覚えがある。

今思えば最低だ。。。。

命の大切さを知っている義父だが、それ以上なにも言わなかった。
私の父も義父も もう他界している。あんな粗暴な言動を今は謝りたい。
私の妻は看護師で、昨今の世状で多忙の中、今回の手術の手配や準備など懇親を尽くしてくれた。
感謝しかない。

妻をはじめ「多くの人の助けを借りて自分は生きてるんだな」と改めて思う。

これは病気だからある程度しょうがないけど。。。。

もしバイクで怪我したら。。。。

私は大型バイクに乗っている。
20代からのリターンライダーなのだ。

もし、バイクで事故を起こしてケガをして入院となったら、また迷惑をかけてしまう。
それも自分の娯楽のために、それだけは絶対に避けなければならない。

もう、バイクやめなきゃダメなのかな。

でも、そんなことを言ったら何もできなくなってしまう。

現在では唯一の娯楽なのだから。

身体は本当に大切にしなければとつくづく感じながらも、
複雑な心境で私は、目を閉じた。。。。

 

病院につきタクシーを降りた。

「さて、いよいよだ」

手術はボルトを入れて固定するか、内視鏡で骨を削るか微妙な状態。
ギリギリまで判断が迷われたが、結果内視鏡で行うという方針になった。
今回は段階的に様子を見ることとなる。
それで治ってしまう例も多くあるとのことだった。

入院翌日、手術は朝一番で始まった。
別に手術は怖くないし嫌でもない。むしろこれで今後またスポーツができるのであれば万々歳だ。
全身麻酔のため入院前から入念な検査が行われた。
会うたび会うたび違う看護師さんに同じ質問をされた。
あまりの入念さに感服する。
※システムで共有されていないのか?とも思ったが。。。

点滴からの麻酔は、あっという間に私を夢の世界へ誘う。

手術はあっという間だった。
ただ意識は朦朧として、気が付いたら病室へ。
妻が付き添ってくれてはいたが、さすがに術日はそのまま眠りについた。

翌日、傷口は痛むもののすこぶる元気だった。
ただ、尿の管と血抜の管が体の自由を奪っていた。

手術翌日から食事は可能だった。
おかゆではあったが、食事のありがたさを十分感じた。

私は2年に1度位の間隔で、長野県の車山高原でファスティングに挑戦している。

ご存じだろうか。「ファスティング」

「ファスティング」というとかっこいいが、要は「断食」ってやつである。
大体いつも5泊6日。最後2日間の朝食は軽い回復食となるが、その時の食ありがたさは何とも感動的である。
おかゆ、お味噌汁、お惣菜、梅干しなど、量にしてはかなり少量だが、誰にも邪魔されず、20分くらいかけてゆっくり味わうのだ。
食のありがたさを感じる至福の時である。
おかげで今では、食べ物をゆっくり食べる習慣もできたと思う。

整形の手術なので3食目からは通常食に戻り、とても美味しくいただけた。
間食はしないので、毎回の食事が待ち遠しかった。

入院中の日課として朝一でYoutube「Accessのすゝめ」の視聴者さんからのコメントを確認する。
温かい応援の言葉ばかり。とても感謝の気持ちでいっぱいだ(涙)
自分はみんなに支えられているのだなと思う。

いま動画にできているのは、私の構想の中のほんの一部。
一人(一社)でも多くの方に自分の知っている知識をすべて伝えたいと思う。

いずれコミュニティを作り、皆で新しい輪が作れればいいと思う。

「つなげるひろがる」それが私の望みであり夢である。。。。

自前でのシステム構築を必要としている人はまだまだ多く存在する。世界中にもきっと。

 

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病室から見える明治神宮の雑木林も今日で見納め。

さて、また頑張ろうか。目指す先はまだ遠い!!
また仲間たちのところに戻ろう(笑)

気にかけていただいた皆様、ありがとうございます。
2021年3月9日(火)AM 無事退院できました。

さすがにまだ手術跡の痛みがありヨチヨチ歩き。
また、特注のコルセットでガチガチ。
更には、今後リハビリが数ヶ月続きますが(汗;)

しかし、もう一度、自分自身に挑戦したい!!

P.S.今後の回復度合いは、逐次ブログで報告します。

-自適悠々

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